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散骨で本当にいいのですか

 

お寺の報恩講に行って来ました。

 

そのお寺には父のお骨が納められています。

 

そこに行けば、父を感じることができます。

 

ご先祖さまから続く自分の命を確かめられます。

 

 

読経の後、特別法話として三橋尚伸先生のお話がありました。

 

そのお話の中で考えさせられたのは、近年の散骨の流行のこと。

 

故人の遺志を尊重して散骨した後、

 

「亡くなった人と出会う場所、対話する機会がなくなってしまった」という

 

悩みというか相談が、最近、遺族から来始めているとのことでした。

 

なるほど。

 

やはり、葬儀というのは、残された人のために行われるという側面も大きいのです。

 

エンディングノートに書いてあることを尊重するのはいいけれど、

 

散骨して終わりにしてしまうと、その人を偲ばせる「カタチ」がなくなり、

 

残された人がどこを向いて手を合わせていいかわからなくて、せつなくなる、

 

という思いもうなずけます。

 

大きなお墓、立派な仏壇ではなくても、

 

せめて、手を合わせる場所や機会をなくさないように考えるのも

 

大切なことだと思います。

 

子孫が、先祖とのつながりを感じられない時代が来ると想像すると、

 

それはそれで恐ろしい気もします。

 

連綿と受け継がれて来た命の尊さを、しっかり伝えるためにも、

 

ある程度、「カタチ」にはこだわってもいいと思います。

 

 

私は、父の月命日には「甘いもの」を買って仏壇に供え、

 

その後、父のかわりにいただきます。

 

最近は、毎朝、水も替えるように心を改めました。

 

気持ちに余裕がある時は、お線香をあげます。

 

この程度ではありますが、

 

そうすることで、父やその両親、さらにその先祖の存在、つながりを

 

感じていきたいと思っています。

 

 

※ちなみにお世話になっているお寺は浄土真宗大谷派。宗教のお話なので、必ずしも誰もがうなずける内容ではないことを書き添えておきます。